終戦~廃墟の中から
1945年8月(昭和20年)、甚大な損失をもたらした末に終結を迎えた太平洋戦争。
のちに日本の基幹産業に急成長する自動車工業を例にとれば、物資が窮乏していた戦争中から乗用車の生産は制限されていました。
それは限られた資源や設備を軍需用トラックの生産に充てるためです。
戦後、ポツダム宣言を執行することを目的として、日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の管理下に入りました。
連合国軍の占領下に置かれた日本は対外関係を断たれ、海外との間の人・資本・物資の移動は厳しく制限されました。
戦勝国への賠償に充てるため、民需への生産設備の転用も限定的なものに止まったのです。
GHQから乗用車の生産が許されたのは1949年(昭和24年)のこと。
それでも物資の不足により、当初の生産は微々たるものでした。
朝鮮戦争が勃発したのは翌1950年(昭和25年)。
アメリカから大量の物資を受注して特需ブームに沸いた日本は空前の好景気を迎え、特に機械産業は急速に活況を呈しました。
戦中から戦後にかけて中断されていた欧米からの論文、専門誌、製品カタログなどが続々と入るようになったのは、ちょうどその頃です。
新鮮な技術情報を渇望していた日本の技術者たちは、貪るように読み漁りました。
それと同時に生産技術、とりわけ切削加工の分野で大きく欧米に立ち遅れていることを思い知らされたのでした。
~1993年(平成5年)